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那覇地方裁判所 昭和52年(行ウ)2号 判決 1978年1月24日

那覇市首里赤平町二丁目三八番地

原告

安里宗次郎

右訴訟代理人弁護士

安里積千代

平良清仁

浦添市字宮城六九七番地の七

被告

北那覇税務署長

佐久間敬長

右指定代理人

渡嘉敷唯正

幸喜令雄

瑞慶山良宗

平敷安健

浦崎賢市

嘉陽義一

仲村盛二郎

主文

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、請求の趣旨

1  被告が昭和五〇年五月二六日付で原告に対してなした原告の昭和四七年分贈与税決定および無申告加算税賦課決定各処分のうち、贈与税については金六九三万七九〇〇円、無申告加算税については金六九万三七九〇円を超える部分をいずれも取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二、当事者の主張

一、請求原因

1  原告は、訴外亡金城マサ子(以下、亡マサ子という。)から贈与を受けた金一〇万ドル(一ドル三〇五円の換算で三〇五〇万円。以下同じ)につき、昭和五〇年五月一七日に被告に対し一九七二年度分の一時所得として贈与金一〇万ドル、税額二万二七四七ドル二〇セント(六九三万七九〇〇円)として申告をなした。

2  被告は、これに対し、昭和五〇年五月二六日付で一九七二年度分の一時所得を零とする減額更正処分をなし、同日付で右一〇万ドルは昭和四七年七月七日に亡マサ子から贈与を受けたものとして昭和四七年分の贈与税額を一七九五万五〇〇〇円(但し、計算誤謬により同年一〇月一八日付で一七三二万五〇〇〇円に再更正)、重加算税額を六二八万四二〇〇円(但し、前記同様六〇六万三七〇〇円に再更正)とする贈与税決定および加算税の賦課決定の処分(以下、本件処分という。)を行つた。

3  しかし、原告が亡マサ子から一〇万ドルの贈与を受けたのは、沖縄の本土復帰前の昭和四六年一二月二四日であるから、一九五二年立法第四四号沖縄の所得税法により一時所得としての税額と無申告による一〇パーセントの加算税を賦課さるべきである。

そうすると、一時所得税額は六九三万七九〇〇円、無申告加算税額は六九万三七九〇円となる。

4  よつて、原告は被告に対して異議を申立てたが、被告は、昭和五〇年一〇月一五日、これを棄却した。

原告は、同年一一月七日、国税不服審判所長に審査請求をしたが、同審判所長は、昭和五一年一二月二四日、重加算税のうち無申告加算税相当額を超える部分の金額(四三三万一二〇〇円)のみを取消し、その余の請求を棄却する旨の裁決をした。

5  よつて、原告は、本件処分のうち、一時所得税額六九三万七九〇〇円、無申告加算税額六九万三七九〇円を超える部分につき取消しを求める。

二、請求原因に対する答弁

1  請求原因1は認める。

2  同2は認める。

3  同3のうち、原告が亡マサ子から一〇万ドルの贈与を受けた事実は認めるが、その余は争う。

4  同4は認める。

三、被告の主張

1  復帰による琉球政府税の承継と贈与税の経過措置

昭和四七年五月一五日の沖縄の復帰に伴い、沖縄の法令により琉球政府が課した若しくは課すべき琉球政府税のうち、所得税および贈与税については国税相当琉球政府税として国が承継した。

ところで、復帰前の沖縄においては、贈与税に相当する税目がなく、贈与による所得は所得税法により一時所得として課税されていたものであるが、復帰特別措置法は贈与税についての経過規定を設け、昭和四七年三月三一日以前になされた贈与については沖縄の所得税法により従前の例により課税することとし、同年四月一日以後の贈与により取得された財産については相続税法の贈与に関する規定を適用することとした。

本件の場合、贈与の時期が昭和四七年三月三一日以前であるか同年四月一日以後であるかによつて次のように税額に差異を生ずる。

(一) 一時所得として税額を計算した場合

(1) 一時所得金額 一〇万ドル

(2) 特別控除額 八三〇ドル

(3) 右特別控除後の金額 九万九一七〇ドル

(4) 課税標準額(右の二分の一額) 四万九五八五ドル

(5) 基礎控除額 四七〇ドル

(6) 課税所得金額(右差引後の金額) 四万九一一五ドル

(7) 右金額に税率五五パーセントを乗じて得た額から四二六六ドルを控除した金額 二万二七四七ドル二五セント

(8) 右の円換算(一ドル三〇五円として) 六九三万七九〇〇円

(納付すべき所得税額)

(二) 贈与税として計算した場合

(1) 課税価格(贈与金額) 三〇五〇万円

(2) 基礎控除額 四〇万円

(3) 右基礎控除後の課税価格 三〇一〇万円

(4) 右金額に税率七〇パーセントを乗じて得た額から三七四万五〇〇〇円を控除した額 一七三二万五〇〇〇円

(納付すべき贈与税額)

2  本件贈与の時期

亡マサ子は生前その所有土地を売却して多額の銀行預金債権を有していたが、一九七一年一二月二四日、株式会社琉球銀行本店の普通預金口座の中から一〇万ドルの払戻しを受け、同日架空人金城ウシの名義で同銀行に六か月満期の定期預金とし、その満期後の昭和四七年七月七日付で右定期預金は原告名義の六か月満期定期預金となつた。右金城ウシ名義の定期預金口座開設に際して使用した印鑑及び定期預金証書は当初原告が保管せず、その満期解約時の利息金七四万五五八九円も昭和四七年七月七日付で亡マサ子の株式会社沖縄相互銀行本店普通預金口座に入金されている。これらの点からして、本件贈与は定期預金が原告名義に切替えられた昭和四七年七月七日になされたものである。

四、被告の主張に対する原告の主張

原告は亡マサ子の姉の子であるが、原告の妻千代子も亡マサ子を親代わりとし且つ同女が経営する会社の従業員でもあつたという関係から、原告において本件贈与を受けたものであるが、当時同じように亡マサ子から金員の贈与を受けた他の近親者にくらべて受贈与額が多かつたため、他聞をはばかる意味で一旦架空人金城ウシ名義の定期預金としたものにすぎず、贈与の時期は昭和四六年一二月二四日である。その証拠に、右架空名義定期預金の預金者の住所は原告のそれと同一であり、被告主張の利息金も原告が受領している。その利息金が亡マサ子の預金口座に振込まれたのは、原告が亡マサ子に対し二五〇〇ドルの消費貸借債務を有したので、これが返済のため利息金を小切手で受領し、亡マサ子に弁済として交付したためであつて、架空名義定期預金の預金者が亡マサ子であつたのなら、預金先の銀行にある亡マサ子の普通預金口座に直ちに入金されるのが当然である。被告は、亡マサ子から原告と同様に金銭の贈与を受けた近親者らに対しては贈与が昭和四六年一二月になされたものと認定して一時所得としての課税をしているが、原告に対する贈与に限つて時期を異にすることの合理的理由は存在しない。

第三、証拠

一、原告

1  甲第一、二号証

2  証人安里千代子

3  乙第五号証、第九号証の成立は不知。

乙第二四号証の四ないし七については原本の存在および成立を認める。その余の乙号各証の成立は認める。

検乙第一号証は不知

二、被告

1  乙第一号証、第二号証の一、二、第三号証、第四号証の一、二、第五号証、第六号証の一ないし三、第七号証、第八号証の一、二、第九ないし第一三号証、第一四号証の一、二、第一五号証、第一六号証の一、二、第一七号証の一ないし三、第一八ないし第二二号証、第二三号証の一、二、第二四号証の一ないし七。

2  検乙第一号証(金城マサ子が生前使用していたとして安里千代子が相続人金城承英に交付した印章の印影)

3  証人仲宗根玄隆、同伊藤宏、同金城承英

4  甲第一号証の原本の存在、成立ともに認める。

第二号証の成立は不知。

理由

一、原告が、昭和五〇年五月一七日、被告に対し、一九七二年度(自一九七一年四月一日至一九七二年三月三一日)分の贈与による一時所得一〇万ドル、税額二万二七四七ドル二〇セント(六九三万七九〇〇円)について申告をしたこと、これに対し被告が同年同月二六日付で一九七二年度分の一時所得を零とする減額更正処分をなし、同日付で昭和四七年分の贈与税額を一七九五万五〇〇〇円、重加算税額を六二八万四二〇〇円とする贈与税決定及び加算税の賦課決定をしたこと、被告が同年一〇月一八日付で贈与税額を一七三二万五〇〇〇円、重加算税額を六〇六万三七〇〇円にそれぞれ減額する再更正決定をしたこと、原告が右再更正前の課税処分に対して異議を申し立て、被告が、同年一〇月一五日、右異議申立てを棄却したこと、原告が、同年一一月七日、国税不服審判所長に対し審査請求をし、同審判所長は、昭和五一年一二月二四日、重加算税のうち無申告加算税相当額を超える部分の金額四三三万一二〇〇円について取消し、その余の請求を棄却する旨の裁決をしたこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二、沖縄の復帰に伴う国税の取扱いと贈与税の経過措置について

昭和四七年五月一五日の沖縄の復帰に伴い、沖縄の法令の規定により琉球政府が課した若しくは課すべき琉球政府税で政令で国税に相当すると定めるものは国税相当琉球政府税として国が承継するものとされた(沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律以下、特別措置法という-七二条一項一号)。そして右国税相当琉球政府税には所得税(贈与所得にかかる税を含む。)が含まれる(沖縄の復帰に伴う国税関係法令の適用の特別措置等に関する政令一条一項)。

ところで、復帰前の沖縄においては、贈与による所得については所得税法により一時所得として課税していた(一九五二年立法第四四号沖縄の所得税法八条一項九号)が、特別措置法は、昭和四七年三月三一日以前になされた贈与については沖縄の所得税法により従前の例により課税することとし(同法七二条三項)、同年四月一日以後の贈与により取得した財産については相続税法の贈与に関する規定を適用することとなつた(特別措置法七八条一項)。

このため、本件贈与の時期が、原告主張のように昭和四六年一二月二四日であれば、一時所得とされ、その税額は六九三万七九〇〇円となるが、被告主張のように昭和四七年七月七日であれば、贈与税が課され、その税額は一七三二万五〇〇〇円となる(なお、税額の算出過程はいずれも「被告の主張」1中記載のとおりである。)。

そして、被告が本件贈与の時期を昭和四七年七月七日として本件課税処分をなしたことは当事者間に走いがないから、本訴の争点は被告が右課税処分にあたりなした贈与時期の認定の当否にあることとなる。

三、そこで本件贈与の時期について検討する。

1  成立に争いない甲第一号証、乙第一号証、第二号証の一、二、第三号証、第六号証の一ないし三、第七号証、第一七号証の一ないし三、

証人安里千代子、同仲宗根玄陸、同金城承英の各証言並びに弁論の全趣旨(検乙第一号証に関する当事者双方の陳述)を総合すると、亡マサ子は、昭和四六年一二月、その所有土地を国及び民間企業一社に売却したが、その代金六三万七〇九一ドルのうち一〇万ドルを、同年一二月二四日、株式会社琉球銀行本店に金城ウシなる架空人名義の六か月満期預金としたこと、右預金は満期到来後の昭和四七年七月七日に解約され、同日付で、同じ琉球銀行本店に原告名義の六か月満期定期預金が設定されて口座名義人が変わり、預金額も復帰による円換算で三〇五〇万円となつたこと、右解約時の支払利息金七四万五五八九円は琉球銀行本店振出の自己宛小切手により支払われ、右小切手は、亡マサ子名義の裏書を経たうえ、同日株式会社沖縄相互銀行の亡マサ子名義普通預金口座に現金一〇万八〇〇〇円とともに入金されたこと、金城ウシ名義の定期預金に使用した金城名義の印鑑は亡マサ子が経営していた錦商事の従業員である原告の妻千代子が所持していたが、同女は、マサ子の死亡後、亡マサ子から預かり所持していた他の印鑑とともに相続人訴外金城承英に引渡したこと、以上の事実が認定でき、右認定に反する証拠はない。

2  右に認定した事実によれば、金城ウシ名義の定期預金の預金者は亡マサ子であり、一〇万ドルは亡マサ子に帰属していたが、右預金の名義人が原告に変わった昭和四七年七月七日の時点で一〇万ドルを円に換算した三〇五〇万円は原告に帰属するに至つたもので、右同日、亡マサ子から原告に三〇五〇万円の贈与がなされたことを推認することができる。

3  原告は、本件贈与による所得発生の日が昭和四六年一二月二四日であり、金城ウシ名義の定期預金の預金者は原告であつて、受贈与額が多額なため他聞をはばかる意味で架空人名義としたものにすぎず、その証拠に預金者の住所として銀行に届け出てあるのは原告の住所地であると主張する。

なるほど原本の存在成立に争いない甲第一号証によれば、右金城ウシ名義の定期預金の銀行元帳には預金者の住所として「首里赤平二-三八」と記載されており、原告の住所地の表示と一致する事実が認められるけれども、架空人名義を用いたことの動機として原告が主張するところは、僅か六か月後には原告名義に変更されているところからしても説得力に欠け、匿名の目的からすれば住所地も架空とするに如くはないことや、解約時の利息金が亡マサ子名義の普通預金口座に振り込まれていることからいつても、たやすく措信し難いところである。もつとも、原告は、右利息金にあたる小切手は原告が受領したうえ、原告の亡マサ子に対する昭和四二年以来の消費貸借債務二五〇〇ドルの弁済として亡マサ子に譲渡した旨主張し、右弁済時に返還を受けたとする借用証(甲第二号証)を提出しているのであるが、成立に争いない乙第八号証の二、証人安里千代子、同伊藤宏の各証言によれば、原告は右定期預金の満期到来に先立つ昭和四七年四月二五日に亡マサ子から設計料七〇〇〇ドルの弁済を受けている事実が認められ、右の機会に債務の清算をしないで僅か二か月余のちに弁済をすることの不合理さ、それにも増して一〇万ドルに相当する三〇五〇万円もの大金を無償で贈与する一方僅か二五〇〇ドルの貸金の弁済を受けることの奇妙さは到底合理的説明のつかないものであり、原告の前記主張に副う証人安里千代尺の証言は採用できない。

また、原告は、被告が昭和四六年一二月に亡マサ子から近親者に贈与が存在したと認定してそれら近親者からの一時所得としての修正確定申告に対し減額更正処分をしないのは原告に対する認定と一貫しないと主張するけれども、以下に述べる理由から、右の指摘は当を得たものではない。

すなわち、前掲乙第一号証、第一七号証の一ないし三、成立に争いのない乙第一八号ないし第二一号証、乙第二四号証の一ないし三、原本の存在成立につき争いのない同号証の四ないし七及び証人仲宗根玄隆の証言を総合すると、次の事実が認められ、この認定を動かすに足る証拠はない。

亡マサ子は、昭和四七年五月一一日被告に提出した一九七二年度の確定申告書において、昭和四六年一二月に代金六三万七〇九一ドルで売却した土地は訴外仲村元昭、同安田哲之助、同比嘉次郎、同嘉秀正との共有にかかり、自己の持分は一〇分の五であるとして、売却代金総額の二分の一である三一万八五四五ドル五〇セントに他の土地の売却による分を加算した三七万三〇六五ドル五〇セントを基礎とする譲渡所得の申告をし、これに基づく納税をした。ところが、昭和四八年二月のマサ子の死亡に伴い、相続人金城承英の相続税に関して被告が行つた調査の過程で、右共有とされた土地は亡マサ子の単独所有であり、亡マサ子が脱税の目的で虚偽の申告をした事実が判明し、昭和五〇年五月三一日相続人金城承英から亡マサ子の一九七二年度分所得税の修正確定申告がなされて、亡マサ子の脱税問題は落着した。しかし、亡マサ子の右売却代金に相当する普通預金からは、昭和四六年一二月下旬、多額の払戻があり、そのなかには右仲村ら四名のそれぞれを名義人とする定期預金口座に入つたものがあつたので、同人らの贈与による一時所得の問題が生じ、結局同人らも、昭和五〇年五月、昭和四六年一二月下旬にそれぞれ贈与を受けたとして一九七二年度分所得税の修正確定申告をし、それぞれ該当税額を納付した。そのうち、税理士である仲村元昭は、亡マサ子から一一万ドルの贈与を受けた疑いのもとに税務調査を受けたが、同人は、そのうち一〇万五〇〇〇ドルは預り金で、亡マサ子から安田哲之助ほか二名に対する贈与により同人らが納税を要する所得税の支払資金であると説明し、右三名の修正確定申告により納付すべき税額を自己の口座にある預金の中から支払つた。

右のとおり認められるのであるが、これらの事実からすると、前記亡マサ子の口座から仲村ら四名の口座への財貨の移動の実態は、真実の贈与ではなく、亡マサ子の租税逋脱の目的による財産分散工作ではないかとの少なからぬ疑いが持たれるのである。

4  以上の次第で、昭和四七年七月七日に亡マサ子から原告への贈与がなされたとの推認を覆えすに足りる根拠は見出し難いから、本件贈与の時期に関する被告の主張は正当としてこれを認めるのほかはない。

四、昭和四七年法律第七八号による改正後の相続税法(以下、単に法という。)によれば、贈与税の基礎控除額は四〇万円であり(法第二一条の四)、基礎控除後の課税価格(本件では三〇一〇万円)を同法第二一条の六の各級に区分し、それぞれに同条各号に定める税率を乗じた結果得られる本件贈与税の額は被告主張のとおり一七三二万五〇〇〇円である。

また、贈与税の申告期限は贈与により財産を取得した年の翌年三月一五日であり(法第二八条第一項)、期限後申告に基づき賦課されるべき無申告加算税は納付すべき税額の一〇〇分の一〇であるから(昭和四七年法律第六二号による改正後の国税通則法第六六条第一項第一号)、本件無申告加算税の額は一七三万二五〇〇円である(本件に賦課されるべき加算税が無申告加算税であるかそれとも重加算税であるかは一つの問題である。しかしながら、本件で被告が昭和五〇年五月二六日付でなした加算税賦課決定は被告の再更正処分及び国税不服審判所長の裁決により右一七三万二五〇〇円の限度に縮限されており、税務訴訟において司法裁判所は税務署長のなした課税処分のうちなお効力を有するものについて、課税根拠の存否したがつてその処分の当否を審査するにすぎないものであるから、右の問題をここで検討する必要はない。なお、不服申立ての裁決及び税務訴訟においては総額主義により課税根拠の存否が審査される点については最一判昭和四九年四月一八日訟務月報二〇巻一一号一七五頁及び最一判昭和五〇年六月一二日訟務月報二一巻七号一五四七頁参照。)。

五、以上の判示によれば、本件課税処分中現に効力を有する贈与税一七三二万五〇〇〇円及び無申告加算税一七三万二五〇〇円に関する部分はその根拠を有し、右課税処分を取消すべき事由はない。

よつて、原告の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 稲守孝夫 裁判官 長嶺信栄 裁判官 赤西芳文)

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